(98) 江戸・東京の歴史を語り伝える
芝公園一帯の樹々

東京の芝公園は明治6年(1873年)に太政官布達によってできた日本で最も古い公園のひとつです。当時は芝・増上寺の境内を含む広い公園でしたが、戦後の政教分離政策によって、境内の部分が除かれ、現在では環状の公園になっています。環状のエリア内には増上寺、芝東照宮など歴史的な施設を包み込み、一帯には江戸・東京の歴史を語り伝える多くの史跡樹木が見られます。

    

 (98-1) 芝丸山古墳

 芝公園の南の一角に原生林かと思うように木が茂った小さい丘があり、そこには芝丸山古墳と呼ばれる古墳があります。西暦500年頃作られた長さ100m余の前方後円墳で都内でも有数の大きな古墳です。その周りにはスダジイやケヤキの大木が繁っていますが、これらの木々が古墳時代からそこに生育していたことはありえないとしても、大都会の中にありながら鬱蒼と繁ってるいるその様子は、この場所がただの場所でないことを感じさせるに十分です。


  

  (98-2) 芝・増上寺
 
増上寺は1393年創建であり当初は麹町にあったものを、慶長3年(1598年)に徳川家康によって現在の芝の地に移されました。以来、芝・増上寺は徳川家の菩提寺として江戸を代表する寺院となりました。明治以降は芝公園ができ増上寺と一体になり、戦後は政教分離で別組織になりましたが、実質的には増上寺は芝公園エリアの中心的存在です。
昭和20年(1945年)の戦災により増上寺境内の五重塔や徳川家霊廟などほとんどが焼失してしまいましたが、昭和49年(1974年)に再建された堂々たる本堂のたたずまい(上写真)は、往時の姿を偲ばせてくれます。敷地内にあるケヤキ大木は江戸時代からのものでしょうが、今年もまた見事に紅葉し、増上寺を引き立てています。江戸時代の人がタイムスリップして現代の増上寺を訪ねたら、本堂背後に立つケバケバしい色のひょろ長いものを見て"なんと不細工な"と思うかも知れません。

 

 (98-3) 芝東照宮のイチョウ巨木

 公園内に芝東照宮があり、そこにはイチョウの巨木が立っています。
この東照宮は以前は増上寺の一部で増上寺安国殿と呼ばれ、「江戸名所図会」にも紹介されるほどの存在でしたが、明治時代の神仏分離により独立し、芝東照宮となったものです。
 イチョウの巨木(幹周6.5m、樹高21.5m)は寛永18年(1641年)安国殿の再建に際し、3代将軍徳川家光が植えたものと言われています。芝公園内では最も大きな樹木であり、江戸・東京の400年の変遷を見守ってきた巨樹として、東京都指定天然記念物になっています。

 

  (98-4) 記念植樹 グラント松
 
増上寺三門(三解脱門と呼ばれている)の脇に周囲を圧するように立つヒマラヤスギ大木があります。樹齢100年は超えていると思われ、豊かに枝を伸ばした見事なヒマラヤスギです。
このヒマラヤスギは明治12年(1879年)に、アメリカのグラント大統領(南北戦争の英雄・グラント将軍)が国賓として来日した際の記念植樹であり、グラント松と名付けられています。

ヒマラヤスギは外来の樹木で、日本には1879年頃渡来したと言われていますから、明治の初めのころは非常に珍しい樹木だったはずです。そのような樹木がなぜ記念植樹に選ばれたのか?、また植樹の苗木はどこから来たのか?謎の多いグラント松です。近ごろではヒマラヤスギはあちらこちらで見かける樹木ですが、いずれにしてもこのグラント松は日本のヒマラヤスギとしては最高齢のものでしょう。

 

 (98-5) 戦災イチョウ

 芝公園の北端の4号地に半身黒こげになったイチョウ大木が立っています(左写真右側の木)。このイチョウは昭和20年(1945年)5月25日の東京大空襲の際の火災で被災し、主幹を失い瀕死の状態にあったのですが、焼け残った幹から芽が出て生き返ったものです。

 幹には70年余りが過ぎた現在でも黒焦げの跡が生々しく残っています。空襲により増上寺周辺一帯は焼け野原になったそうですが、この戦災イチョウを目の前にし、焼け野原の様が目に浮かぶようです。

 写真左側に写っているクスノキやトウカエデの大木は戦後に植えられたものでしょう。

  

   樹木写真の属性
 樹  種 スダジイ(すだ椎) [ブナ科コナラ属
ケヤキ(欅) [ニレ科ケヤキ属
イチョウ(銀杏) [イチョウ科イチョウ属
ヒマラヤスギ(ー) [マツ科ヒマラヤスギ属]
 樹木の所在地  東京都港区芝公園  
 撮影年月   (1),(2),(4):2014年11月
  (3),(5):2017年2月
 投稿者   中村 靖   
 投稿者住所  横浜市都筑区中川中央
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